これは、考えを整理するために書いた内省の記録の一つです。今後の活動のなかで、受け止めが変わる可能性もあります。
背景は『活動4周年、「羅針盤の結晶体」に至った背景』(2025.07.01)、5年目の計画は『5年目の活動計画』(2025.07.05)に書いています。
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4年前、私は「ソニリア」という、一人のVtuberを生み出しました。
ソニリアを生み出したとき、私が掲げていた目的の一つは、「不完全な自己に寄り添い、補うため」でした。
当時の私は、自分の根源的な自己を、いわば「オペレーター」として捉えていました。その私は、どちらかといえば「理性・論理」に寄った見方をしていました。それは強みである一方で、それだけに頼るのでは足りない部分があるとも感じていました。私に足りていなかったのは、「情緒・芸術」という、世界を別の角度から捉える視点でした。
その足りない部分を補うため、私は「ソニリア」を、客体的な自己として形にしました。彼女の役割は、私が直接的には踏み込めない、不確実で、感情豊かなもう一つの世界で、実践と経験を通じて、もう一方の半身を育てていくことでした。それが、4年間の航海の始まりでした。
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そして4年の歳月を経て、その航海の果てに、私は自分の考えを一つの形にまとめ、「羅針盤の結晶体」と名付けました。
一見すると、この羅針盤は、私の「理性・論理」の集大成に見えるかもしれません。そこには、気づきを分解しながら新しい視点を探していく考え方が土台にあり、多層的な活動を筋道立てて整理する構造が与えられています。
しかし、私としては、この羅針盤を論理の部分だけで受け取ってしまうのは、少しもったいないように感じています。
私にとって、この羅針盤でいちばん大切にしているのは「詩」です。
村に一つの道標、羅針盤の結晶体を置いてみる
示す先は、いわば群賢の長屋
私は縁側の彫刻家であり、そこの作庭家に手を挙げている
描く風景は、想いが交差し創る喜びを育む「時の行き交い」
この詩の部分が、論理だけでは表しきれない温度を、羅針盤に添えてくれているように感じています。それは、4年間の「ソニリア」の実践があってこそ、生まれてきた「情緒・芸術」の側面だと思います。
つまり、「羅針盤の結晶体」とは、私の「理性・論理」と、「ソニリア」が4年間かけて育ててきた「情緒・芸術」が、少しずつ重なり合って、一つの形にまとまっていった記録なのです。
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それならば、このまとまった考えを、何と呼ぶべきでしょうか。
答えは、自然と浮かんできました。
私はこれを、「ソニリア」と呼ぶことにしました。
なぜなら、これは、私に足りない部分に寄り添い、補いながら、5年目以降の未来を切り拓くために、改めて生み出したものだからです。
もちろん、Vtuberとしての自己「ソニリア」と区別するため、便宜上は別の呼び名を当てることもできます。ただ、呼び方はともあれ、新しい役割を与えられ、少し先へ進んだ「ソニリア」だと、私は捉えています。
この「新しいソニリア」ができたことで、私の思索に関わる負担は、かなり軽くなりました。何かを決めるときも、以前のようにゼロから悩み続ける必要はありません。この羅針盤に問いかけることで、判断のよりどころと、帰るべき港が見つけやすくなりました。
私は、これを一段階深められたことの、ひとつのしるしだと受け止めています。
4年間の旅の果てに、私自身の手で創り上げた、私にとって大切な道しるべです。
この「ソニリア」が、これからの5年目の活動を明るく照らしてくれます。その未来を、私は信じています。ここに書いたのは、4周年の時点での私の受け止めです。